写真de俳句の結果発表

第66回「お台場の桜」《天》

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評価について

本選句欄は、以下のような評価をとっています。

「天」「地」「人」…将来、句集に載せる一句としてキープ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。

特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。

「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考えるそれが最も重要な学びです。

安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

第66回「お台場の桜」

66

 

人としてどうなの桜咲いたけど

折田巡

 

これを「天」に推すのは少々邪道かもしれませんが、推さないではいられない思いが、ずっと胸中を渦巻いています。

例えば、我が子を手にかけるような養父はまさに「人としてどうなの」の最たるものだけれど、一方的に子連れ再婚を悪だと決めつけ断罪する人々がいることにも心を痛くします。かく言う私も、子連れ再婚組の一人です。十の家族には十通りのありようが存在するのに、画一的な正義を振りかざし、言葉の剣でもって完膚なきまで叩き潰す。それもまた「人としてどうなの」と痛切に思うのです。

かつて私たちは「お天道さまが見ている」といった類いの道徳心を持っていました。誰も見てないと思ってるかもしれないけれど、お日さまは見ている、桜も見ている、何よりも自分の心がそれを知っている。そんな心の有り様こそが、日本人の誇れるものではなかったのか。

毎年、桜が咲き始めてから散り果てるまで「花百句」という修行をしています。自分一人で桜の句を百句作るのです。目標の数を達成できる年もあれば、思うように作れない年もあります。が、真摯にひたすらに桜と向き合うことは、己の心の有り様を桜に問いかける時間なのかもしれないと、この句に出会って思ったのです。

私には私の、皆さんには皆さんお一人一人の、桜とともに過ごす美しい時間。そんな静かな思索の時間という概念が、「桜」という季語の本意に加わったかのような、この一句との出会いでした。

蛇足ではありますが、兼題写真と並べて写真俳句の一作品として味わうとなれば、この句はまた様々な思いを観る人に訴えるものとなっていきます。

“夏井いつき”