第68回「監視カメラに鵜」《地》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

地
第68回
鵜のをりて勝鬨橋は動かざる
きざお
「勝鬨橋(かちどきばし)」とは、国内最大級の跳開橋です。かつては、大型船舶の航行のために稼働していましたが、航行する船の減少や交通量の増加のため、昭和四十五年以降は開かれていません。
獲物を探す「鵜」がとまっている勝鬨橋は、もう動くことはない。時代の移り変わりを、「鵜」の存在によって描こうとした一句。「~ざる」の連体形のあとの余韻に、その思いが漂います。

鵜と会ひぬ発火しさうなほど淋しい
七瀬ゆきこ
鵜飼いの鵜でしょうか。放れ鵜の類いかもしれません。が、なぜか野生の「鵜」を思いました。河口とか中洲などを散策していて、思わずも「鵜」に出会った。その事実と、「発火しさうなほど淋しい」という口語の呟きが出会うことで飛び散る詩の火花。身を貫くような寂しさの正体は、果たして何なのか。思わず、我が心の深淵を覗き込んでしまうような、静かな迫力のある作品です。

数百の河鵜に木々の真白き死
にゃん
時折このような光景を目にしますが、「数百の河鵜」が巣を作っている「木々」なのでしょう。「真白き」とは、鵜たちの糞だと読みました。糞まみれになった木々が、枯渇していくに違いない思いを「真白き死」と表現したのでしょう。「数百」という概数の重みが、強いリアリティとなって。

疲れ鵜や星に火の粉に乾かぬ身
深紅王
「疲れ鵜」とは、鵜匠に操られ魚を獲ることに疲れてしまった鵜。「疲れ鵜や」という詠嘆から、「星」を見上げるような視線に誘導し、鵜篝の「火の粉」が降りかかる鵜の身を思わせ、最後に「~に乾かぬ身」と展開していく語順が見事です。「~に~に」と畳み掛ける調べにも哀切があります。

釣り堀やいつも居るくそ爺いと鵜
真秋
「釣り堀や」という上五も飄々として面白いのですが、中七下五が更なる俳諧味を醸し出しています。
「いつも居る」という「くそ爺い」は、すぐに近寄ってきて蘊蓄を垂れるのでしょうか。あるいは、釣れない自分の横で次々と釣り上げる爺さんなのかもしれません。傍らの「鵜」は、せっかく釣り上げた獲物を隙あらばかすめていこうとする。いずれにしても、いつも居る迷惑な「くそ爺いと鵜」です。

前輪の内か外かへ鳩、旱
右端ぎゅうたん
これから発進しようとしている光景を想像しました。いきなり飛んできた鳩でしょうか、トコトコと歩み寄ってきたのかもしれません。どうも「前輪の内か外かへ」近寄っているみたいなんだけど……という困惑。
俳句における読点が効果的に使われるケースは滅多にないのですが、この句の場合は、読点が視点を切り替える効果も担っていて、最後の「旱」という季語を強く押し出す働きもしています。

監視カメラに兜虫ぶち当たる無音
馬場めばる
「監視カメラ」に「兜虫」が当たるのですから、夜の歩道か公園の街灯あたりに設置されたそれを思いました。「ぶち当たる」という表現が、いかにも「兜虫」らしい重量感がありますし、「当たる無音」という把握に、冷静な観察眼が感じられます。
「ぶち当たる」と「無音」の関係性によっても、こんな詩が生まれるのだなあと感嘆いたしました。

つつじつつじしれっと歩く万引き犯
芝歩愛美
兼題の「監視カメラ」という言葉から「万引き」を連想した人たちは沢山いましたが、「しれっと歩く」という中七の描写に妙なリアリティがあります。
しれっと店を出て、躑躅の生け垣に沿って歩き出しているのか。上五の「つつじつつじ」というリフレインも然る事ながら、この季語との取り合わせが予想外の効果をもたらしました。

囀の数だけ動く花時計
家守らびすけ
「囀り」という季語と「花時計」の取り合わせはあるかも(?)と思いましたが、中七の措辞がその類想感を吹き飛ばしてくれます。一羽が囀れば、それが「花時計」を動かす力となっていくという発想のなんと楽しいことでしょう。
「囀り」という春の季語の力によって、「花時計」に咲いている花の種類や色合いも様々に想像できて楽しませてもらった一句です。

監視カメラにアタシに似る人とダリア
那乃コタス
ニュースなどで偶々見た街角の映像を思いました。あれ? アタシ?……と一瞬思うのだけれど、あんなとこに行った覚えはないし。「監視カメラ」特有の粗い映像を凝視しても、「アタシに似る人」はあくまでも「似る人」として動いていて、傍らに咲いている「ダリア」だけが、ダリアであると識別出来る皮肉。

