第69回「日本最古のビアホール」《地》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

地
第69回
ビアホール壁画のをんなみな裸足
百夏るみ
「裸足」といっても、「壁画」に描かれた「をんな」たちのそれですから、季語としての力はぐんと弱くなり、主たる季語「ビアホール」の季感を補強する働きをしていると考えます。
「ビアホール」に満ちるさざめき、グラスの音などが、一句のBGMとして聞こえてくるような心地の作品です。

末席の賑やか献杯のビール
佐藤儒艮
「末席」があるということは、上座というべき位置にも人々は座っているのです。「末席の賑やか」という状況を描写しただけの前半が、俄然意味を持ち始めるのが、後半「献杯」の一語です。
「献杯」は、目出度い式の場合もありはしますが、「末席の賑やか」と対比させてこその一句ですから、故人への献杯と解釈するのが妥当でしょう。
上座には、故人に近い、親しい人たちが並んでいるのでしょう。「末席」の賑やかさは致し方ないのかもしれないが、淡い怒りめいた感情と悲しさを持てあます、そんな「献杯のビール」なのです。

忘れ物のひとつは原書ビアホール
伊藤 恵美
「忘れ物のひとつは」と、それを手に取っているのは、ビアホールの従業員でしょうか。その飲み会の手配などを担当した幹事さんかもしれません。いかにも忘れそうなあれこれ(ケイタイ、帽子や日傘、冷房よけに羽織る薄手のショール等)に混じって、「原書」が一冊あったのです。一体どんな人物が忘れていったのだろうと思いを巡らせる人物もまた、「ビアホール」の一点景です。

肉汁の実り芒種のソーセージ
染井つぐみ
「芒種」とは、禾のある穀物の種を蒔く頃。時候の季語です。「芒種」の頃の「ソーセージ」にかじりつくと、肉汁が溢れだします。それを、「肉汁の実り」だと感知する豊かさ。これから蒔く穀類が芽を出し、実りの秋へと続いていく。この地にある全ての食物への礼賛のようにも思われます。

順繰りに虹見た位置を吐露し合う
湯屋ゆうや
虹出てたよね! と誰からともなく話し出しているのでしょう。駅のホームで見たとか、歩道橋の上で、八百屋さんの前で、と「順繰りに」同じ虹を見た「位置」について話し出すのです。下五「吐露し合う」が思わせぶり過ぎるかとも思いましたが、吐露という言葉から感じられるささやかな屈託もまた、一句の味わいというべきでしょう。

アボカドの皮はパカッとこどもの日
桜上比呂
一読「アボカド~パカッと」とあるので、タネを外すために捻って二つに分けた時の感じかなと思ったのですが、「アボカドの皮」なので、剥こうとしていて皮がきれいに外れた感じなのでしょうね。下五「こどもの日」が、その日の台所の、楽しそうな親子の様子を浮かび上がらせてくるのも、季語の力ですね。

解剖の話題止まらぬ生ビール
加賀屋斗的
さっきから、この卓では「解剖の話題」が止まらないのです。まさにその話題の中にいる医学生か、あるいは傍らの卓にて聞くともなく聞いている人物か。「~止まらぬ」という措辞に、話の熱量と、話さないではいられない衝撃、尽きることのない向学心などが渦を巻いているかのような一句です。

空腹やわたしは月の欠けたほう
俊恵ほぼ爺
上五に季語ではない名詞をおいて「や」で詠嘆し、中七下五で季語を含んだフレーズを取り合わせる。これは、難易度の高い型ですが、言葉の質量のバランスがよく考えられています。
「や」の詠嘆の強さを、下五「~ほう」と切れを入れないことで、余韻を深めているあたりも、確かな判断です。
「わたし」とは、常に「月の欠けたほう」の存在である。つまり、見えない方、見てもらえない方の存在だけど、見えないことは存在しないことではないのだと。上五から、育児放棄を想像するのは深読みでしょうか……。

さざめきに層なす泡やビアホール
桐山はなもも
少しずつ飲んでいくうちにグラスの内の泡が層をなしていくさまを描いた句は多数ありましたが、ビアホールに満ちる「さざめき」によって「層」をなしているかのような「泡」という把握に、オリジナリティがあります。「~や」の詠嘆のアップから、下五「ビアホール」へ切り替えられる映像も、巧みな作品です。

死ななかつた夜を父と飲む生ビール
福間薄緑
「死ななかつた夜」とは、誰が死ななかったのでしょう。自殺するつもりで死ななかった私でしょうか。九死に一生を得たと語り合っているのでしょうか。季語「ビール」とあれば、「飲む」の一語は不要なことが多いのですが、掲出句においては「(父と)飲む」という行為に大きな意味があります。この夜の「生ビール」の味は、苦かったのか、はたまた忘れがたく美味かったのか。この一句から、様々なショートショートの物語が生まれてきそうです。

