第70回「ベランダの桔梗」《地》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

地
第70回
桔梗咲くさびしき星の展開図
にゃん
「桔梗」と「星」を取り合わせた句も沢山あったのですが、こういう切り口は新鮮でした。
桔梗が咲いた形こそが、「星の展開図」だという把握そのものが詩です。更に、それは「さびしき星」なのだと性格付けをすると、「桔梗」の花のたたずまいや色合いが匂い立ってくるような感覚もいたします。色合いもまた、星のように淋しげな桔梗です。

桔梗や謀反のごとく転職す
海泡
「桔梗(きちこう)や」という詠嘆から、「謀反」とくれば、また明智光秀ネタかと(類想が相当数ありましたので)、ちょっと引いてしまったのですが、そこからの展開が巧いですね。「謀反のごとく」と比喩に展開し、「転職す」と現代の一場面にもってくる力技。
その会社にとっては、まさに「謀反のごとく」技術も情報もお得意さんもごっそりと持っていくような転職なのかもしれません。

熊鈴のこだま松虫草の波
七森わらび
日本列島各地に熊が出現するニュースをこれだけ耳にすると、「熊」を冬の季語とすることにも、ささやかな違和感が生まれてくる。季語というのは、まさに私たちの生活に密着したナマモノなのだという思いを強くします。
「熊鈴のこだま」で、状況と音を描き、「松虫草の波」で爽やかな風と映像を描く。軽やかな句ですが、確かな描写力があってこその一句ですね。

すっぴんは涼しホースの先を絞め
うーみん
なんだかんだいって、「すっぴん」が一番気持ちよくて、涼しいのだという、共感全開の前半。更に、「ホースの先を絞め」という後半の描写にリアリティがあります。
夕方の庭の水やりでしょうか。ホースの先をギュッと押さえると、水は遠くまで飛びます。そのささやかな飛沫もまた、「涼し」以外の何ものでもない。ささやかな日常を巧く切り取りました。

引き継ぎは仙人掌の鉢たまに水
渡海灯子
職場での「引き継ぎ」の中に「仙人掌」の世話という項目があったのでしょうか。あるいは、この「仙人掌の鉢」を残していくので、よろしく頼みますという「引き継ぎ」だったのか。
ささやかな困惑と共に引き継いだ「仙人掌の鉢」。下五の「たまに水」という(仙人掌という植物に対しては、当たり前の)フレーズに、ささやかな困惑に漂う、可笑しみのある一句です。

ベランダは泣く場所錆びているジョウロ
亀野コーラ
「ベランダ」は単なる場所ではありますが、夏の季語にもなっています。自分にとって、あるいは家族の誰かにとって「ベランダ」は「泣く場所」なのだというのです。後半に取り合わせられた「錆びているジョウロ」は映像であると同時に、作者の心情の象徴でもあるのでしょう。かつて、このベランダに様々な花を咲かせたり、ミニトマトや胡瓜を育てていたのかもしれませんが、今、そこにあるのは錆びたジョウロだけなのです。

ミライミライ摘果サレナイミニトマト
馬場めばる
「摘果」とは、余分の果実を幼いうちに摘み取り、均一でよい品質のものを得るために行なう作業です。可哀想だからと摘果されない「ミニトマト」は、大きくもなれないし、美味しくもなれない。
「ミライミライ」という呟きに取り合わせられることによって、一気に寓意を獲得するというタイプの句。そこに重ねられているのは、作者自身の未来なのかもしれません。

手術費が足りない百夜草しづか
岡根喬平
この「百夜草(ももよぐさ)」については、諸説あるようです。キク科キク属の総称とする辞書が多いようですが、中には「露草」や「松」だとするものもありました。どの植物を想定するかによって、一句の味わいは少しずつ変わってきます。
いずれにしても「百夜草」という字面は、百日の夜という時間経過を思わせますので、「手術費が足りない」という口語の呟きを抜き差しならぬものにしていきます。皆さんならば、どの植物で、この句を味わいたいと思いますか。

桔梗濃し帰蝶もねねも吾も不妊
蜘蛛野澄香
「帰蝶」とは、織田信長の正室で、濃姫とも呼ばれていた女性です。「ねね」は、豊臣秀吉の正室。どちらも、子を産まなかったと伝えられています。
「桔梗」という花に対し、「帰蝶」「ねね」という名のイメージもたおやか。そこに並列で「吾」を置き、「不妊」との共通項を提示する。「桔梗」の蕾の膨らみ、からっぽの花の中。そんなイメージの重ね方も実に巧い作品です。

あをぞら五滴ほしぞら二滴吸つて桔梗
かときち
「桔梗」の特徴でもあるあの美しい青紫は、「あをぞら五滴」と「ほしぞら二滴」を吸ってできる色ではないか。その発想そのものに共感いたします。
「あをぞら」「ほしぞら」とした平仮名の表記もラ音の韻も美しく、最後に「桔梗」という季語を置いた語順も効果的です。

