第23回「カメラと夕焼け」《天》
評価について
本選句欄は、以下のような評価をとっています。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。
特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。
「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考える。それが最も重要な学びです。
安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません。己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。
天
第23回
無いほうの家に生まれて夕焼けて
田季たまき
いつ頃から、勝ち組だの負け組だの、有る方だの無い方だのという区別の表現が生まれてきたのでしょう。「無いほうの家」という言い回しが、今の世相を生々しく印象づけます。
うちは「無いほうの家」だという認識は、学校に行くようになってから、社会に出てから、他人や他家との比較から生まれてくるのでしょう。子どもの成長にしたがって、その事実がジワジワと認識されていく残酷。
「無いほうの家に生まれて」という呟きを、なにくそ! という反骨だと読みにくいのは、「~て~て」という韻律のニュアンス。細い溜息のような調べになっています。
「無いほうの家に生まれて」は、なすすべもない無力な諦めでしょうか、静かな憤りでしょうか。はたまた、淡々と今日一日を生き延びたというささやかな安堵かもしれません。
子としては、抗いようのない現実を突きつけられた日の夕焼は増々赤く、「無いほうの家」に生まれた境涯を象徴するかのように、その奥に黒々とした闇を滾らせています。