写真de俳句の結果発表

第59回「色っぽい流木」《天》

評価について

本選句欄は、以下のような評価をとっています。

「天」「地」「人」…将来、句集に載せる一句としてキープ。
「並選」…推敲することで「人」以上になる可能性がある句。
「ハシ坊」…ハシ坊くんと一緒に学ぶ。

特に「ハシ坊」の欄では、一句一句にアドバイスを付けております。それらのアドバイスは、初心者から中級者以上まで様々なレベルにわたります。自分の句の評価のみに一喜一憂せず、「ハシ坊」に取り上げられた他者の句の中にこそ、様々な学びがあることを心に留めてください。ここを丁寧に読むことで、学びが十倍になります。

「並選」については、ご自身の力で最後の推敲をしてください。どこかに「人」にランクアップできない理由があります。それを自分の力で見つけ出し、どうすればよいかを考えるそれが最も重要な学びです。

安易に添削を求めるだけでは、地力は身につきません己の頭で考える習慣をつけること。そのためにも「ハシ坊」に掲載される句を我が事として、真摯に読んでいただければと願います。

第59回「色っぽい流木」

59

 

流木は浜昼顔を母として

若林くくな

 

「○○を母として」というフレーズは、時折目にします。それらの多くは、「大地を母として」「港を母として」等、イメージに終わりがちで、俳句の言葉として有効な働きはしていないというのがこれまでの印象でした。

ところがこの句は、「母として」いるものが「浜昼顔」なのです。しかも、主体が「流木」ですから、一句を咀嚼していくと、ゆっくりと映像が立ち上がり、絵本のようなお話が動き出す。その点を面白く感じました。

流木がこの砂浜に打ち上げられた時から、浜昼顔の群生はここにあったのでしょう。孤独な流木の心を慰めてくれたのが、(一日花なのに)次々と咲き続ける浜昼顔だったのかもしれません。

生きて、山にあった頃、この木にも初夏の光のような花が咲いていたのかもしれません。でも、そんな記憶はどこにも残っておらず、ぼんやりと「母」なるものを恋う心だけが残っているのかもしれません。

流木のそんなセンチメンタルな気持ちなんぞは知るべくもなく、浜昼顔は潮風に吹かれつつ、貪欲に地下茎を伸ばし、逞しく日の光を吸収しようと緑の葉を広げ、優しいピンク色の花を咲かせているのです。流木と浜昼顔の、触れ合うことのない心と心。なんだか切ない物語です。

“夏井いつき”