第43回 俳句deしりとり〈序〉|「のき」④

始めに
出題の句からしりとりの要領で俳句をつくる尻二字しりとり、はじまりはじまり。


第43回の出題
兼題俳句
金糸雀の美しき黙かな女の忌 爪太郎
兼題俳句の最後の二音「のき」の音で始まる俳句を作りましょう。
※「のき」という音から始まれば、平仮名・片仮名・漢字など、表記は問いません。
野キャンプの闇生き物の息遣い
みそちゃん


野木家の三男頼りなき春雲
千暁
野木間々田癒す秋風栃木旅
高木友
固有名詞の「野木」。《千暁》さんの句、「野木家の三男」は創作上の人物なのか実在の人物なのかはわかりませんが、「春雲」のほわんとしたやわらかさとの取り合わせが良いバランス感覚ですね。字面の通りのっぽな木みたいな人だったりしたらステキ。
《高木友》さんの「野木」は「間々田」と共に栃木に実在する地名だそうです。インターネットのルート検索によるとJR宇都宮線で約3分と出てきました。秋風を楽しむのんびりな旅かと思いきや案外近いな!?


軒氷柱苛らいでゐる忌中かな
ぞんぬ
軒氷柱矗々母と絶縁す
伊藤映雪
「軒氷柱」は文字通り軒にできる氷柱のこと。「軒」という場所情報が加わる効果は大きいですね。上五氷柱の映像から、《ぞんぬ》さんの「忌中」、《伊藤映雪》さんの「母と絶縁」、どちらの句も家族の情報へとスムーズに移行できています。
どちらの句にも見慣れない言葉がありますが「苛らぐ(いららぐ)」は物の形状が突き出たようになること、角張ることを意味します。寒さなどによって鳥肌が立つという意味もありますが、ここでは「軒氷柱(が)」と助詞が省略された形で読むのが自然でしょうか。
《伊藤映雪》さんの「矗々」はなんて読むんだ? ごうごうじゃないしなあ……と調べてみたらなんと「矗々(ちくちく)」。ちくちくって聞くと針で突き刺したり嫌味を言う意味だとつい考えてしまいそうですが、形容動詞の「矗々」は長くまっすぐなさま、直立して伸びるさまを意味するのだそうです。ふーむ、家との関わりを隔てるように伸びる軒氷柱を思うと、キッパリとした格調が生まれますなあ。音の響きは可愛いけど、なかなか根は深そうな絶縁。


偃(のきふ)すや夏シヤツといふ風の友
夜汽車
これも知らない単語でした。辞書を調べると「のいふす」と出てきますが、これは元々「のきふす」であったものが音変化したのだそうです。意味はあおむけに寝る、倒れ伏すこと。詠嘆の「や」も相まって解放感が心地良い一句ですね。畳の上で大の字になってる姿を想像します。夏シャツの前はばーっと開けちゃって、風に任せるまま寝こけてしまっちゃいましょう。


軒鳩を犬と煽りて夏の果て
しまえなが子
悪ガキの魂のまま大人になったようなこういう人、好きだなあ(笑)。犬も一緒になってわんわん煽ってるのがかわいい。エサもらうのに慣れてる鳩ならちょっと遠くに歩いて逃げてはまた戻って来るんでしょうねえ。時間経過の要素を含んだ中七の「て」は緩いといえば緩いのですが、句の内容には似合ってます。「夏の果て」の「て」とも韻を踏んでて、合わせ技一本。


ノキサシン苦し幽霊溶けてきた
津々うらら
「苦し」ってことはなんらかの飲み薬かサプリメントかな? と調べてみたら「ノキサシン」の正体は目薬でした。眼科用の抗菌薬で、結膜炎などに効果があるそうです。目薬さした時の沁みる感じが味覚に転化していくの、わかる気がするなあ。幽霊の正体は眼科の病気による目のしわざだった……のか? 幽霊の正体みたりなんたらら、ってね。


の北とか言われても夏果てる路地
胡麻栞
道を聞いたときに困るやつ。最近だと人に言われるのに限らず、車のナビでも「~の北を左折、そのまま道なりです」とか言われたりしますもんねえ。北ってそもそもどっちだよ! ってツッコもうにも相手が機械だったら余計にこっちは困惑を抱えてるしかないっていう。「夏果てる路地」の呆然と投げだされる感じがお気の毒やら笑えるやら~(笑)。


のき浅き舟小屋のあさ風光る
空から豆本(空豆 改め)
「舟小屋」とは船を風雨や虫などから守るために作られた小屋のことで、各地の沿岸部で見られます。二階建てになっているものもあり、一階に船を引き上げて乾かし、二階では網を干したり漁具置場にしていたそうです。「のき浅き」が具体的な形状を描写していて良いですね。写真を調べてみると場所によっては舟小屋群といってずらーーっと十数棟の舟小屋が並んでいるような土地もありました。一様に軒の短い舟小屋へとあさの光が射し初めて、さあこれから今日の漁に出るか、という静かな一日の始まりを思わせます。季語で一句を締める語順も効果的でした。


「の木」に「君だけ」と書き足す春の虹
江口朔太郎
我が家はムーミンのアニメが好きでよくDVDかけてるんですけど、ムーミン谷が洪水で水浸しになっちゃう話思い出しましたわ。ムーミンが花の咲く木の根元に「この木の花を全てフローレンに捧げる」ってナイフで彫ってる、っていう話。カギ括弧を使って言葉の途中から始める、しりとり俳句テクニックが光りますなあ。春の虹がメルヘンかつロマンチックな取り合わせでステキ。いかにもムーミンっぽい。木の肌をガリガリッと削って書き足しててほしいなあ。


第45回の出題
軒下の紫陽花あがれない我が家
けーい〇
次回兼題はあえての最多数派であった「軒下」からチョイス。なぜ我が家にあがれないのか? いろいろ奥深いドラマが展開されていきそうな想像の余白が魅力であります。仮に「我が家」ではなく「実家」であればまた違ったニュアンスになったでしょう。「実家」の方が距離的にも心理的にも、今の自分がいる場所ではない、という隔たりが加わりますからね。しかしこの句はあくまで我が家、強く所有と所属を意識する「我が家」なのです。はてさて、なぜ我が家にあがれないのか。物理的に侵入できないほどに紫陽花が繁茂しているのか、それとも心理的な障壁、あるいは家庭が荒れに荒れて敷居をまたげない状態にあるのか……。いずれの場合でも、軒下にあふれかえるような「紫陽花」の物量がしっかり主役として立ち塞がる、思わせぶりな一句でありました。
ということで、最後の二音は「がや」でございます。
しりとりで遊びながら俳句の筋肉鍛えていきましょう!
みなさんの明日の句作が楽しいものでありますように! ごきげんよう!

