第43回 俳句deしりとり〈序〉|「のき」②

始めに
出題の句からしりとりの要領で俳句をつくる尻二字しりとり、はじまりはじまり。


第43回の出題
兼題俳句
金糸雀の美しき黙かな女の忌 爪太郎
兼題俳句の最後の二音「のき」の音で始まる俳句を作りましょう。
※「のき」という音から始まれば、平仮名・片仮名・漢字など、表記は問いません。
軒端には笹の葉揺れる七夕夜
のぐちゃん
軒端には笹の葉揺れる星の歌
しみずこころ
のきばもすなごも知らんけど七夕
多数野麻仁男
のきばとはここのことよと夏の宵
赤味噌代
軒場咲く老い花哀れ冬の蝶
小川多英子
軒端にゆれて幽霊の笑み涼し
ぷるうと
軒端に揺れた願いはどこへラ・フランス
ふじっこ
軒端に揺れるハエ取りリボン五つ
有川句楽
軒端なる風鈴の下眠る犬
平松久美子
軒端にて雨宿りして蜻蛉過ぐ
稲垣加代子
軒端に吊忍小窓からインコ
渥美こぶこ
軒端の荻に軽きスカート穿かせたし
佐々木棗
童謡のイメージに影響されたか、やはり「揺れる」は頻出しますね。単語の意味としては軒下や軒先に通じるものがありますから、あれこれが吊られていたり、軒で過ごす姿が句材になるのも同様であります。その点、《佐々木棗》さんは発想の方向性が独特です。軽いスカートを穿かせてあげたくなっちゃうほどにふわふわな荻。


軒と庇の違ひで喧嘩してビール
嶋村らぴ


軒ゼロの家に燕も思案顔
夏の町子
軒低き町家にのっぽが涼風と
海色のの
軒深き紙漉場より水の音
彩汀
軒深き塔の五層目秋夕焼
むい美縁
軒の出の長さの話新豆腐
咲山ちなつ
軒の出は深し端居の詰将棋
さく砂月
軒裏にへばりつきたる守宮かな
のりこうし
軒裏や石臼に木賊にょきにょき
明 惟久里
軒天にうさぎ染み見て戻り梅雨
ヨシキ浜
軒天にまるき穴穴けらつつき
佐藤さらこ
軒天にむささびの穴小さき穴
さおきち
軒天の色替えようか鰯雲
鳥乎
軒天の巣に幾度も夏つばめ
不二自然
軒天の張り付く柏色変わり
佳辰
軒天の塗装は今ぞ梅雨晴間
チョコ婆
軒天の木目に懐く秋の風
馬場めばる
軒天の木目がはしゃぐ氷水
あるとりこ
軒天は補色うろこ雲しゅっしゅっしゅっ
むらのたんぽぽ
軒天へずっしり伸びしゴーヤかな
咲葉
軒天を唸れる千の雀蜂
にゃん
軒蛇腹の白染め抜かん野の錦
太井 痩
軒蛇腹段差数えて蚯蚓鳴く
舞矢愛
軒蛇腹論じる四人芋嵐
豆くじら
そしてこちらが軒の詳しい構造についてのあれこれ。先述の通り「軒」は屋根の延長、突き出した端のことなわけですが、その突き出し具合は家によって様々。突き出してる部分がゼロな家もあれば、長く突き出して深い軒を形成してる家もあるわけです。
「軒裏」や「軒天」は軒の裏側部分と、そこに取り付けられた仕上げ材を指す言葉だそうです。建物の種類や用途によって耐久性や防火性に優れた素材が選ばれ、通気性や湿気の排出の役割も担うなど、実は重要なパーツだったんですねえ。《馬場めばる》さんの「木目に懐く秋の風」はカラッと良い風が軒天を乾かしていかにも気持ち良い。《あるとりこ》さんは軒で喉を潤している人の姿が想像されます。「氷水」が日射しを反射して、軒天に光の斑が揺蕩う映像がうつくしい。
「軒蛇腹」は壁の上にあって、軒を支えるために設けられた蛇腹のこと。西洋建築ではコーニスと呼ばれ、ギリシャ建築やローマ建築にも見られます。軒の下を装飾するとともに雨樋としても使うことができるようです。段差を数えたり論じたりしてるのは日本の建築に限らず、海外の観光地での出来事な可能性もあるのかも。


ノキ弁のエルメスのタイ身にしみて
染野まさこ
ノキ弁のスーツの皺や雲の峰
ヒマラヤで平謝り
ノキ弁のランチのり弁冬に入る
花豆
ノキ弁の夫婦喧嘩の果て月夜
大森 きなこ
ノキ弁の龍踊りたるアロハシャツ
夏村波瑠
ノキ弁もイソ弁も居て菊日和
レオノーレ・オオヤブ
軒弁の最後の依頼とろろ汁
爪太郎
軒弁の独立の夢星祭
青井季節
なにかの小説か映画で聞き覚えのある単語だなあ。「ノキ弁」とは軒先弁護士の略。法律事務所の建物内に間借りしている独立採算制の弁護士のことだそうです。法律事務所に所属していないと弁護士は活動できないため、こういうシステムがあるんですって。へぇー。弁護士さんってお給金良いイメージだったけど、みんながみんなエルメスのタイやスーツに身を包む暮らしなわけじゃないんだねえ……。《レオノーレ・オオヤブ》さんの句にはさらに「イソ弁」なるものも登場。こちらは居候弁護士の略で、給料を貰って法律事務所に勤務する形態。一般的にはアソシエイト弁護士と呼ばれるそうです。そこで経験を積んだあと、自分の事務所を構えるのが一般的なルート、とのこと。独立の夢は近いやら遠いやら~。


「退きますよ」通路の席へ秋夕日
感受星 護
「のきな」と言う少女のタトゥー村祭り
西村小市
「のきなさい」主婦は義母吾はバナナ食む
逢來応來
「のきなはれ」水打つ祖母に皆追はれ
ユリノキ
「のきんさいや」と姉が炬燵の僕を蹴る
雨野理多
「除きなれ」と雑魚寝をまたぐ西瓜八つ
潮湖島 しおこじま
軒から離れて別のネタに。自らのいたり、のいてくださいと伝えたり。言い方も様々です。《西村小市》さんの少女、男前すぎてSILENT HILL f みたいだな……。《ユリノキ》さんの「のきなはれ」、《雨野理多》さんの「のきんさいや」は聞いた記憶があるんだけど、《潮湖島》さんの「除きなれ」は愛媛のあたりじゃあまり聞かないなあ。どこの方言なんだろう、気になる!


退き際の 椅子のくぼみに 秋残る
一人男
おっと、惜しい! 五七五の間が空いてしまってるんですが、実は俳句は五七五の間を空けずに書くのが正しい書き方なのです。「退き際の」はお仕事の退勤とかかなあ。椅子のくぼみに秋の気配を見出すのは結構良い詩の感覚だと思う。次回は五七五の間を空けない形での投句、お待ちしておりますぞ!


退き状に指輪を添えて外は秋
三日月なな子
退き状や褪せし屋号と蝉しぐれ
ちょうさん
退き状をしまふ引出し涼新た
田原うた
退き口の山中くろき蝉時雨
絵夢衷子
退き口の殿二人蚯蚓鳴く
オカメのキイ
退き口は言い出しっぺぞ肝試し
芦幸
退き口や殿は吾と花薄
藍創千悠子
退き口を生き抜きなにもかもが秋
白猫のあくび
退き潮の恋や枝豆ぽこんぽこん
帝菜
退き潮は心得ており散椿
いまい沙緻子
退き潮や引退試合の飛込台
銀猫
退き潮や板場さざめく年の暮れ
狐狸乃
退き潮や冷やし中華は砂の味
孤寂
退き潮を図る秋の灯下戸上戸
えりまる
退潮へ白く落ちゆく流れ星
坂野ひでこ
退き代のかはりが鳳梨十個とは
泉楽人
いろんな退きシリーズ。「退き状」は「のきじょう」あるいは「どきじょう」と読みます。いわゆる縁切りの書状ですね。《三日月なな子》さんの句は離縁状。離婚届とは違って少し古風な存在ですが、《ちょうさん》さんの句は「屋号」と合わせて雰囲気たっぷり。「退き口」は陣地をすてて退却しようとする時の方法。織田信長の金ケ崎の退き口や島津義弘の島津の退き口が有名ですね。なんで知ってるかって? 平野耕太先生の『ドリフターズ』を愛読してるからだよ。先生、続刊まだですか。
「退き潮」は読み方によって意味が変わるようです。「退潮(たいちょう・ひきしお)」と読んだ場合は文字通り潮の引くことを意味し、転じて盛んであった勢力が衰える意味で使われます。一方「退潮(のきしお)」と読んだ場合は退くのに具合の良い時、退きどころを意味します。ニュアンスの違いを知った上で読むとどの句も味わい深いですねえ。《孤寂》さんのざらつく味覚の違和感とか、リアルで良いなあ。孤独とも過労とも絶望とも受け取れて、一緒にうずくまりたくなります。
そんな暗い句に共感を覚えつつ、《泉楽人》さんの俳諧味ある句もこれはこれで好き。手切れ金がわりに渡されたのが、なんと鳳梨(ほうり・パイナップル)十個。なんだよ、現物支給って! しかもこんな大量にどうしろってんだよぉ! なんて悲鳴が聞こえてきそうで、気の毒だけど笑っちゃう。良いセンスしてるわ~(笑)。
《③に続く》

